ここ数日間、家業の行事の準備や後処理の作業があって、
時間と気力の余裕が持てなくて、ブログから離れていました。

自分の記事の更新も一旦お休み、他のブログ記事の読書も一時休止。

その間、家業の仕事を進行しながら、人との交流もあったわけですが、
日頃、友人も知人もいない田舎で ほぼ引きこもり生活をしてる私には、
久々の他人様とのコミュニティの場面です。

コミュニティと言っても、自分と同世代とのではなく、
だいたい いつも同じ顔ぶれで、
自分以外は、アラ60,アラ70,アラ80の女性達です。

田舎も都会も人間関係の本質というものは、変わらないものと思うことも多々あります。
暗黙の上下関係、その地域に根付き続けている価値観と人間関係。
よそ者の私だからこそ、透けて見えることがあるのですが、
まだまだ解っていない何かがあったりするとも思っています。

私の能力では、それらを言葉や文字で的確に表現することが難しく、自分でも残念なのですが、
いくつかの気付きがあったことについて、非常に曖昧で抽象的になりますが、綴っておこうと思います。

人前で言葉を発する時に、

誰にでも理解できる表現まで落とし込まなければ、意思や意図は正しく伝わらないということ。

聞く時も話す時も、感情は冷静でなければマイナスであるということ。

言わなくても良いことは、かなり多いということを知ること。



相反することを同時に言ってるようですが、

伝えなくてはならないことは、どう表現すべきか、

単なる雑談の中で、自分の考えや思ったことを不用意に発信しない方が、
聞いてる人達のそれぞれの状況を考えると良いことが多いということ。

冷静でなければ正しい判断ができなくなるということ。

いくつになっても、人は学び続けなくてはならないということ。

学ぶというのは、情報の見極めと更新、物事の流れの中での最善策を考えたり、
物事の本質を考える知恵をつけること。

そういうのが欠如してしまうと、年相応に、相手にたいする許容度や気配りができないオバサンになってしまうし、
年齢を重ねて、そういった深さと広さが備わってないことは、残念だという
私なりの信条があるから。

そんなことを強く感じた数日間でした。