先日 バスの待合所で 出会った ご年配 女性の お話をしたいと思います。
※ ご年配 女性 → 以下 御婦人と表記します
待合所には 最初 私一人だったのですが、→ 田舎あるある
ちょっとしたら、御婦人が一人で入ってきました。
ちなみに そこの待合所は 建物になっています。
うちは 田舎で家業を営んでるゆえ、町内で出会う人達は 顧客様の場合がありますので、
御婦人が入ってきた時は、一応 さり気なく お顔を確認したところ、見知らぬ人と認識したのですが、
御婦人の方から 「◯◯◯の奥さん じゃないですか?」 と 問われました。
私は ハッとして、そうです と 答えながら 再び お顔を確認したのですが、
御婦人は 帽子&マスクで 目元以外の大部分が覆われているので、正直 どなたか ピンとこなく、
失礼ですが お名前 伺っても宜しいですか? と 尋ねると 「ドコドコの □ □ □ です」 と ご返答いただきました。
御婦人も 私と同じ方面へ向かうバス待ちかと思い、たずねると反対方面への バス待ちでした。
御婦人は、お話し好きな御方なのか 滑らかな滑舌と口調で 色んなことを お話しされてました。
よどみなく綺麗な言葉を お話になる 御婦人で、
御婦人は 年齢92歳であること、
地元の町立病院の女医さんから 「認知症には ならない」と 太鼓判を押されてること、
嬉しい太鼓判を押してくれた 女医さんが 転院されて 寂しいこと、→ 町立病院あるある
身体の あちこちが 年齢の割にご健康で、日常生活に不自由が無いこと、
3度の食事は 同居してる息子さんの奥様が 用意してくれてること
自分の衣類の洗濯は 自分でしてることなど・・・
そんな お話に 相槌を打ちながら 御婦人の瞳を見ると
なんと表現したら良いのだろう・・とても 瞳が しっかり していて、
優しげでありながら 知性的な雰囲気を 目元から伝わる感じがしました。
御婦人のお話ぶりと 瞳の表情から 「認知症には なりませんよ」と 女医さんが 言った理由が 私にも解った気がしました。
私の知り得る感覚では、ご高齢になると 瞳が ぼんやり としていたり、
また それとは逆に、こんな年齢になっても 意地の強そうな瞳になるものか・・という人も少なくないし、
どこか 悲しみを携えた瞳の方もおられたりと・・・
ですが、御婦人には そういったところが 見受けられなかったです。
ご高齢で気丈な女性にありがちな、威嚇するような妙なキツさが無く、
聞き取りやすい声色と しっかりした話の組み立て、
そして 後で 気がついたことですが、お耳も良いと 思いました。
90歳超えると 耳が遠くなってるケースが多いはずなのに、
私の言葉を 聞き返されることが 一度も無かったです。
【御婦人】と、自然に そう言い表したくなる女性。
御婦人がお話になった会話の中で、私に 響いた言葉が ありました。
「こうやってねぇ、元気に問題なく暮らせてることが とっても有り難くてねぇ」
嬉しそうなのが 目元から伝わります。
無邪気で 素直で・・・イイですよね。
私の身近には
出会った時から 「老い先 短いから・・・」 「長くは生きられないわ」 などと
ネガティブなことを 口癖のように言う高齢者がいて、
老い先短いから・・・好きに 自由にやらせてくれ と 我儘に周りを振り回し、
長くは生きられないわ・・・悲劇の主人公になりきって 人の同情を買おうとする カマッテ婆さん
そして そう言う人達に限って、充分に健康で 病院とか薬とは無縁な生活、
老い先は長く、何十年も同じことを言い続け、何十年も やりたい放題、
時代や社会の中心は 自分達であるかのごとく 高圧的で、自分達の論を 押し付け、
自分達が 好きなように やり散らかした後始末を 何食わぬ顔で 次世代に放り投げるのです。
毎度 うんざり・・・。
生き物である以上 私も日々老いていくわけで、既に人生の半分は過ぎた頃です。
実のところ、人の寿命など 判らないものじゃないですか。
現時点で 病に侵されてるワケでもなく、特に重い持病もなく、好きに振る舞っていて、
老い先が短いとか 長く生きられないとか 毎年 毎度 言ってるような そんな老人にならないでおこう。
常日頃 そんなことを 心に秘めて思うのです。
素敵な御婦人だったなぁ。 どうか いつまでも お元気で にこやかな瞳で いて下さいね・・・。
そうそう、後で その日のことを 夫に話すと
□ □ □ さんねー、あの お婆ちゃんは しっかり高等教育を受けていた人で、
昔から 知的な雰囲気の人だよ・・・
そう言っていました。
人柄の判断に、取り立てて 学歴がうんぬんと 関連づける考えは 私には無いですが、
知的好奇心を失わずに 生活していく 積み重ねが 大事なことね と 思ったしだいです。
※ ご年配 女性 → 以下 御婦人と表記します
待合所には 最初 私一人だったのですが、→ 田舎あるある
ちょっとしたら、御婦人が一人で入ってきました。
ちなみに そこの待合所は 建物になっています。
うちは 田舎で家業を営んでるゆえ、町内で出会う人達は 顧客様の場合がありますので、
御婦人が入ってきた時は、一応 さり気なく お顔を確認したところ、見知らぬ人と認識したのですが、
御婦人の方から 「◯◯◯の奥さん じゃないですか?」 と 問われました。
私は ハッとして、そうです と 答えながら 再び お顔を確認したのですが、
御婦人は 帽子&マスクで 目元以外の大部分が覆われているので、正直 どなたか ピンとこなく、
失礼ですが お名前 伺っても宜しいですか? と 尋ねると 「ドコドコの □ □ □ です」 と ご返答いただきました。
御婦人も 私と同じ方面へ向かうバス待ちかと思い、たずねると反対方面への バス待ちでした。
御婦人は、お話し好きな御方なのか 滑らかな滑舌と口調で 色んなことを お話しされてました。
よどみなく綺麗な言葉を お話になる 御婦人で、
御婦人は 年齢92歳であること、
地元の町立病院の女医さんから 「認知症には ならない」と 太鼓判を押されてること、
嬉しい太鼓判を押してくれた 女医さんが 転院されて 寂しいこと、→ 町立病院あるある
身体の あちこちが 年齢の割にご健康で、日常生活に不自由が無いこと、
3度の食事は 同居してる息子さんの奥様が 用意してくれてること
自分の衣類の洗濯は 自分でしてることなど・・・
そんな お話に 相槌を打ちながら 御婦人の瞳を見ると
なんと表現したら良いのだろう・・とても 瞳が しっかり していて、
優しげでありながら 知性的な雰囲気を 目元から伝わる感じがしました。
御婦人のお話ぶりと 瞳の表情から 「認知症には なりませんよ」と 女医さんが 言った理由が 私にも解った気がしました。
私の知り得る感覚では、ご高齢になると 瞳が ぼんやり としていたり、
また それとは逆に、こんな年齢になっても 意地の強そうな瞳になるものか・・という人も少なくないし、
どこか 悲しみを携えた瞳の方もおられたりと・・・
ですが、御婦人には そういったところが 見受けられなかったです。
ご高齢で気丈な女性にありがちな、威嚇するような妙なキツさが無く、
聞き取りやすい声色と しっかりした話の組み立て、
そして 後で 気がついたことですが、お耳も良いと 思いました。
90歳超えると 耳が遠くなってるケースが多いはずなのに、
私の言葉を 聞き返されることが 一度も無かったです。
【御婦人】と、自然に そう言い表したくなる女性。
御婦人がお話になった会話の中で、私に 響いた言葉が ありました。
「こうやってねぇ、元気に問題なく暮らせてることが とっても有り難くてねぇ」
嬉しそうなのが 目元から伝わります。
無邪気で 素直で・・・イイですよね。
私の身近には
出会った時から 「老い先 短いから・・・」 「長くは生きられないわ」 などと
ネガティブなことを 口癖のように言う高齢者がいて、
老い先短いから・・・好きに 自由にやらせてくれ と 我儘に周りを振り回し、
長くは生きられないわ・・・悲劇の主人公になりきって 人の同情を買おうとする カマッテ婆さん
そして そう言う人達に限って、充分に健康で 病院とか薬とは無縁な生活、
老い先は長く、何十年も同じことを言い続け、何十年も やりたい放題、
時代や社会の中心は 自分達であるかのごとく 高圧的で、自分達の論を 押し付け、
自分達が 好きなように やり散らかした後始末を 何食わぬ顔で 次世代に放り投げるのです。
毎度 うんざり・・・。
生き物である以上 私も日々老いていくわけで、既に人生の半分は過ぎた頃です。
実のところ、人の寿命など 判らないものじゃないですか。
現時点で 病に侵されてるワケでもなく、特に重い持病もなく、好きに振る舞っていて、
老い先が短いとか 長く生きられないとか 毎年 毎度 言ってるような そんな老人にならないでおこう。
常日頃 そんなことを 心に秘めて思うのです。
素敵な御婦人だったなぁ。 どうか いつまでも お元気で にこやかな瞳で いて下さいね・・・。
そうそう、後で その日のことを 夫に話すと
□ □ □ さんねー、あの お婆ちゃんは しっかり高等教育を受けていた人で、
昔から 知的な雰囲気の人だよ・・・
そう言っていました。
人柄の判断に、取り立てて 学歴がうんぬんと 関連づける考えは 私には無いですが、
知的好奇心を失わずに 生活していく 積み重ねが 大事なことね と 思ったしだいです。